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NSW北部


一週間のホリデーから昨日の夕方、帰ってきました ♪

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今回はイルカに加えて、くじらも見る事が出来ましたよ ♪
大地のエネルギーに包まれてきました〜。
シドニーより温かったです。


9時間のドライブの帰り道は、グランマも一緒に来ました!
火曜日には飛行機ですぐ帰ってしまうんですけどね。
Leeの学校のコンサートを見るために、仕事も休んで、わざわざシドニーまで来てくれたのです。

本当に孫への惜しみない愛情に感謝の気持ちで一杯です。


今の所、洗濯、片付け、家事に追われていますが、
1週間ネット環境になかったので、
読みたいものがたまっていて、コンピューターの前に座りたくてうずうずしています。


とりあえず、落ち着いたら、この一週間の間の気づきを、また まとめていきたいです。
ホリデー中に「ハトホルの書」を読んで、
自分の中では、ものすごい気づきの螺旋上昇の流れを感じています。

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そして、もう一つの私の密かな目的、
夢の場所、Hinterland探索は、できませんでした。
私の希望ばかりを優先する事も出来ないのでね。。。

残念でしたが、また次回。

きっとクリスマスかな?

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by simplicity_circle | 2010-08-09 09:08 | 我が家の最近

運命って...

私が望んだ週にシドニーに行けませんでした。

そのために、私のシェアメイトが新聞に募集を出した週と、
私が住む場所を探した週が一致する事になりました。

私のホストファミリーが何百?とある募集記事からここを○で囲んでくれました。

全てが絶妙なタイミングと偶然の結果でした。
一つでも狂っていたら、私と旦那さんは出会える事がなかったと思います。


もっとさかのぼってみると、初め私はカナダを希望していました。3日遅れであきらめなければいけませんでした。その後ブリスベンへ行く話も浮上しました。それも急遽変更してNSWの田舎町になりました。



なんか運命っておもしろいですね。



運命は一つ一つ自分の選択で選びとっていくもの。

人生はその時の選択でいろんな運命をたぐり寄せて、そこからさらに選んで進んで行きます。
それぞれの選択には別のストーリが用意されているかもしれません。

どの選択が正しいなんてものはなく、どの道に進んでも、私のこの人生での解決しなければいけない課題が同じように、別の形でやって来ると思っています。


けれど、これはぜひ選択するべき!?
っという運命を後押しする力も確実に働いているという事を実感しています。


私の望みと反していましたが、結果としては、それがよかった。という状況です。


ホームステイの最後になると、一日でも早くシドニーへ行きたいと指折り数えていました。
風邪が治ったらとのんびり構えているP。いつになったらシドニーへ行きたくなるのだ〜〜。
っと2週間じりじり待っていました。


それも天使のはからい。あの週でなければだめだったからです。


何の脈絡もなく「海外へ行こう!」というアイディアが振ってきたあの時、
仕事も会社も人も大好きでした。楽しかったのです。安定した会社でした。
今思えば、よく捨てる決心をしたもんだと思うのです。

でもね、ここにも、後日談があるのです。

私がやめた数ヶ月後、とんでもない展開になったのです。
私のいた事業部が大々的なリストラ工作に出て、その対象があろうことか、女子社員だったのです。
バブルがはじけた後で大変でしたからね。。。
まっ妻子を抱えたおじさまを選ぶよりは、思いやりがあるという事でしょうか?


人生にもし?があったとしたら、あの時、自分の意思でポジティブにやめたのではなく、会社から肩たたきをされて、他の仕事を探すのとでは、精神的には大分違った状態だったことでしょう。



本当に、自分の直感(上の方からの導き!?)には感謝します。



なんか、 過去の私を振り返って思うことがあります。


思慮の足りない浅はかな私もたくさんいます。
言葉が足りない、逆に、余計な言葉で、相手の方に計らずとも、不快感を与えてしまったこともあるでしょう。(それは今でも..)


それでも、いい人に出会って、人様の親切に助けられて、ひとつひとつ、思いも寄らなかった運命を手繰り寄せています。ポジティブな方向に向かっています。


これからも、もっともっとそんな運命を手繰り寄せるために..


出会いに、受けた親切に、感謝の気持ちを忘れない事と、
その気持ちをきちんと表現していきたいと思うのです。


そうすると、必ず、自分の人生が豊かになると信じています。


反面、どんなに自分が真っすぐ謙虚に生きていたとしても、嫌な事も必ずおこります。

自分の不手際かもしれませんし、そうではないかもしれません。


でも、その出来事で、目の前の事、目の前の人を、総否定するような事はせず、

自分の学びとして受け止めて、
相手の人間性をジャッジする事なく、
自分を卑下する事もなく、
冷静に受け止めて、

その後は、


やっぱりアホみたいにポジティブに、楽観的に考え直して、素敵な運命を探索していきたいのです。




これから人生が開いて行く、若い世代の人に知ってもらいたいな〜と、
Yosshiさんに「パリ・シンドローム」という話を聞いて、こんな昔話を書いてしまいました^^
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by simplicity_circle | 2010-05-08 06:17 | 心の持ち方!

シェアメイト探し

P&Bが選んで○をつけてくれたシェアメイト募集の広告。
第一候補の物件には最後に「Japanese Welcome」とありました。

Pはくれぐれも気をつけるように。へんな男だったらだめだぞ!
っという言葉も残していました。

さて、サバーブの名前もシドニーという街自体が全く頭に入っていない私。
Bの継母が、シェア募集のお宅の面接に車で連れて行ってくれました。
(本当にありがたいことです!)

伺った所は、オージと日本人のカップルのユニットでした。
日本人がキレイ好きで礼儀正しくて一番いいという一般的な理由でした。
翌日すぐ、OKの返事をもらい、スーツケース一つの引っ越しが完了しました。

結局他の候補に行く必要もありませんでした。


後々シェアメイトが言っていたのですが、その時の募集、その時に限って、全く他の応募がなかったんですって。本当に私だけだったんです!
私の入居が決まった後は、その募集をみて連絡して来る人がたくさんいたそうです。


なんかね、妙な出来事だったらしいのですが、今の私には、天使のはからいだったとわかります ♪



そのスポットには私が入るべきだったんです。




だって、その後私は「未来の旦那さん」に出会う事になります。

そして結果として全く想定していなかった、オーストラリア永住という人生になってしまったのです。




私の旦那さん、このシェアメイトの幼なじみでした。

旦那さんと出会うのはそれから1ヶ月後の事です。




運命に導かれた?




ここにたどり着くまでの、この一連の私の決断と行動は、宇宙の魂「大いなる魂」から生まれている思いだったのでしょうか?





私はそうだったと思います。





運命の追求をあきらめない人の前には、神様はサインと前兆を示してくれる。
以前紹介しました『アルケミスト』夢を旅した少年からのことばです。

この本のように解釈すると...

運命の追求をあきらめない人に、運命の探究を後押しする力というものがあったと感じるからです。



次はその力について、ちょっと書いてみます。
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by simplicity_circle | 2010-05-07 20:42 | 心の持ち方!

シドニーへ出発!

さて、そんなカルチャーショックな新しい生活も4週間もすると...

日本語はなした〜い!若者と交流した〜い!
という激しい気持ちがこみ上げてくるのですね。

約束通り、1ヶ月したらシドニーに上京!?してみようと思うの。と伝えると、

行く宛はあるのか?しきりに私を心配してくれる。
その頃には、すっかりお兄さんお姉さんになっていたP&B。

もしくは、こんな英語力のくせして、住むあても計画もない。
なのに、何の心配もしている様子がない。真剣にこの娘はアホなのか?と思っていたのかもしれません。危なっかしく感じたのだと思います。

今みんな風邪をひいているから、シドニーには行きたくないけど、風邪が治ったら、私をシドニーに連れて行ってあげる。それまでの間はお金はいらない。と言ってくれたのです。

その時の私たちは、もうお金の関係ではなくなっていました。

さらに、NSWの内陸を観光で見せてあげたいから、2泊かけて彼らの友達を訪ねたり、いろんな街を観光しながら、ゆっくりシドニーへ行こうと言ってくれました。

ただ、そのためのお金はない。

この言葉が真実なのも、私を心配してくれている事が真実なのも、わかりました。

旅行費は私が負担するから、みんなでシドニーへ行こう!と話が決まりました。


楽しい旅行になりましたよ。本当にありがたいことです。


シドニーについてからは、Bのお父さんと継母のお宅にお世話になりました。
P&Bはシドニーでは1泊か2泊しかせず、急ぐように田舎町へと帰って行きました。


そして帰る朝、新聞の募集記事からシェアメイトの探し方を教えてくれました。


Bがこの町がいいわよ、私たちも昔住んでたから。
とお勧めの物件をいくつか○で囲んでくれました。


その後、涙のお別れになりました。






そして、その○が、私の人生を決める事になるのです。
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by simplicity_circle | 2010-05-07 09:40 | 心の持ち方!

私のホストファミリー

生後1ヶ月の乳児と2歳になったばかり幼児をかかえて、家族だけで精一杯です。
(お父さんは働いていなかったので、二人で育児と家事ですから、一般家庭よりは状況はよかったかもしれませんが..)
わざわざ、他人の世話までしたかったとは思えません。
特に海外から外国人を迎えたいという好奇心があったとも思えません。


更に彼らがなんでこんな生活をしていたかという事情が何年もたってからよく見えてきました。


旦那さんはアル中のギャンブル中毒だったのです。


シドニーで仕事をしていたのですが、そこにいては、中毒がひどくなる一方。そこで、仕事を捨てて、こんな辺境の地で、生活保護をうけ、山ごもりのような生活をしていたのです。

広大な敷地に手作りで建てられた家でした。
そして賃貸だったのです。

(オーストラリアの失業手当は期間に制限がありません。仕事が見つかるまでずっと出ます。田舎町にはこういう暮らしをしている人がたくさんいました)

だから$250ならホストになると、収入のために私を受け入れてくれたのです。



そんな彼らのところに到着した私は「金を払ってる」という傲慢な態度の人間ではなかったけど、
24歳とは思えない程、世間知らずの、自立したことのない、幼い私で、きっとびっくりした事だと思います。

彼らは二人ともティーンエイジャーの頃に家を飛び出しているワイルドなタイプだったからです。


今思えば、毎週の支払いをする時に、僕にお金を渡さないでくれと真剣な顔で言っていました。

当時の私はお酒が好きなのは知っていたので、笑って「そうね、これでお酒を買ったらダメだもんね」なんて返事をして、ジョークだと理解していました。


知らないという事は本当にイノセントです。失礼な事を言っていたかもしれません。
ちょっと日本人の感覚とは違う人々。これが西洋人。と解釈していました。

目の前の彼らは、ジョークもよく言うし、仲良くなったら、本当に思いやりのある人たちで、ちょっと喧嘩もするし、感情的だけど、愛し合って、仲のいいカップル。いい家族と写っていました。



ある晩ディナーの席で「Bはベジタリアンだから野菜だけだけど、お料理が上手で本当に毎日おいしいのよ!」なんて訪ねてきていたPのお母さんに、義理の娘を褒めてあげたくて言いました。

するとPが「あー君は豚のようによく食べる」と言ったのです。
お母さんにたしなめられていましたが、さすがに、私、その時は傷つきました。もう早くここを出たい!なんて思いました。

その時は、酔っぱらうとちょっと辛辣なことを言うけど、いつもは優しくしてくれるので、他意はないと一生懸命、自分を納得させました。

(ちなみに当時の私は成人になってからのベスト体重で、結構やせてたんですよ!!ほんとぉですよ〜。まっ、そんなことは関係ないか^^)


ここからは、今になってわかることです。


当時の私は、人様のお世話なんてした事がありませんでした。
毎日の食事を用意する人の立場になって考える事がありませんでした。

今日はたくさん作ったから、残り物は明日のお昼ご飯に!って考えていたかもしれません。
食費が念頭にあったかもしれません。裕福なお家ではなかったのですから。

そんなことはまぁ〜ったく考えつかない私は、よそ様でごちそうになったら、好き嫌いなく、感謝して食べる。もっと食べる?と聞かれたら、いただきます!とおいしいと思っている事を表現する事が礼儀だと思っていました。


すこしばかり成長した今の私は、TPO!?をわきまえるようになってきたかもしれません。
すべて状況次第です。


そんな事を気づかさせてもらった、Pの辛らつな言葉。今は感謝しかありません。

そして、 もっともっと、家事も手伝えたのにな〜。と当時を思い出して恥ずかしくなります。



ただね、お皿洗いだけは、頼むからやらないでくれ!と懇願されました。

これは完全に異文化の衝突です。

彼らのお水は雨水タンクです。限りがありますから大切に使います。
それに気がついたので、私としては、水を流しっぱなしでお皿を洗わないように気をつけていました。でもダメなのです。水を使いすぎると思っているようなのです。

それは私がお皿の洗剤をゆすぐからなのです!!!

イギリス系の流れらしいのですが、オーストラリア人(ニュージーランド人)は食器をゆすぎません。熱い洗剤水の中で汚れを落として、そのままゆすがずにラックの上にのせてしまいます。そのまま乾燥させてまた使います。


彼らは洗剤が口に入る事を全然おかしい事だと思っていません!!


懇願されてしまってはしかたがありません。
残念ですが、私は皿洗い禁止になってしまいました^^ 

ちょっとぐらい洗剤を食べても死にはしない。と自分に言い聞かせて生活しました。

郷に入れば郷に従えです。



ラッキーな事に我が家の旦那さんの家族はみんな、ゆすぐ人たちです。
ありがたい。ありがたい。



さて次回は、シドニーへ行く!です。
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by simplicity_circle | 2010-05-06 12:25 | 心の持ち方!

ホームステイの思いで

私の海外生活は、そのスタートからお友達の親切に助けられました。

ホストファミリーを紹介してくれたカップルS&T。
Sは私の高校時代からの親友のひとり。
当時彼が海外で暮らしてたのかな?とにかく私のために二人がオーストラリアに来てくれて、
シドニーを案内してくれて、銀行口座を開くのを手伝ってくれました。(なんとありがたいことか!)

その上ホストになる友達の家に連れて行ってくれたのです。

今でもずーっと仲のいい特別な友達です。
また今年の8月に来てくれるんだよね ♪
楽しみに待ってるよ!!



さて、ステイ先はシドニーから車で4時間以上の小さな田舎町。
そこから、さらに30分程山奥に入って行きます。
途中から塗装された道路もなくなります。
しかも何という事か!最後の最後に、大きな川が横たわっていたのです。

何が驚きかというと、あろうことか、そこには、
橋が架けられていないのです。
普通の車では渡れません。

ジープのお迎えがやってきました。

カルチャーショックの生活の始まりでした。

彼らの家から出るには、3通りの方法しかありません。
ジープで渡るか、ボートで渡るか、裏庭を20分以上歩いて隣の家にお邪魔して、その手作りの橋を渡るかのどれかです。

電気は自家発電で、冷蔵庫と洗濯機とTVと最低限の電化製品だけを使っていました。
料理は暖炉や薪のオーブンです。
水は雨水タンクです。
お風呂のお湯は電気だったのかな??

トイレは家の外にありました。ろうそくを持って夜中にいくのは怖くて寒かったです。
屋根裏部屋に泊まっていた私は、はしごを下ろして行くのも大変でした。

食事はベジタリアン。

カップルP&Bは私より5歳年上で、子供は2歳と生後1ヶ月の二人でした。

友達がいた2.3日の間はみんなで楽しく過ごしました。
友達が帰ってしまい、ぽつねんと残った私。
本当の意味での海外生活が始まりました。

友達の通訳がなくなってしまいました。とにかく英語なんて、2歳児並み。
全然会話が通じない私に、旦那さんPなんて、よくため息をついて肩を落としていました。

最初はとても距離がありました。

彼らはホストなんてものはもちろんのこと、外国人(とくに海外から来たばっかりの)自体と親しくした経験がなかったと思います。
西洋式のベッドメイキングがわからないから教えて?といったら、
奥さんBは心底びっくりしていました。

はじめにこの話が決まった時に、$250もらうからって、奴隷のようにこき使われないからねと友達に言っていたらしいです。

当時の私はその真意が分からなくて、ジョークを聞いたと思っていました。
でも、その時の彼らの気持ちが本気だったと、今の私は理解しています。

とにかく、最初は警戒していたのです。彼らは。
日本人ってどんなキャラクターかも知らなかったみたいですし。



でもゆっくり、仲良くなっていきました。



英語もろくすっぽしゃべれない私、物事も知らないようだ。
これなに、あれなに、なんで、どうして、と見るもの聞くもの触るもの全て質問してくる。
とんでもない子供がやってきたと思った事でしょう。

私は本当に何でも珍しくって、おもしろくって、楽しくってしかたがなかったのです。

赤ちゃんのおむつ替え、2歳児との同レベルのやり取り、薪集め、自然、野生の動物、暮らし、人間関係。

彼らの買い物から、交友関係(子供のプレイグループ、友達、家族の集まり)パーティ全部一緒に参加しました。いろんな場所に連れていってくれました。

知り合うのは子供に、既婚者、お年寄りばかりです。

時には、自分の言語レベルの低さに、いじけてしまいたくなったり、文化の違いで疎外感を感じたり、
晴れの日だけではありませんでした。
それでも、全部いい経験で、とっても楽しかった思い出です。

近所の小学生と遊んだり、その小学生の学校に子供と一緒にスクールバスに乗って見学に行ったら、
そこで日本語のレッスンを手伝うことになったり、

今考えると、あんなに英語がしゃべれないのに、よくあれだけ参加したものだと感心してしまいます。(あれ、今の私は正反対!すっかり守りに入ってます..)

田舎町なので、閉鎖的な人もいます。人種差別的な事も言われたりしました。
「日本人がなんでこんなところにいる?」とか。
でもだいたいが、日本人を珍しがって、フレンドリーに接してくれました。


とにかく、日本のお友達のおかげで、出会えた彼らと、日本で思い描いていた以上に楽しい、素敵な経験をしました。


P&Bはホームステイが終わった後も、ずっと私の事を心配してくれて、気にかけてくれて、
わたしにとって、心強い存在になりました。



さて、さて、ここまでが、その当時の私の目からみた話です。



次回は、今になって見える、彼らの状況と私について書いてみます。
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by simplicity_circle | 2010-05-05 20:45 | 心の持ち方!

海外生活のスタート

前回からのつづき、「あたりまえ」について書いてみます。

人様に何かをしてもらう事があたりまえで、感謝をしていなかった、赤面ものの過去を告白しようと思います。


私は、24歳でオーストラリアへ来るまで、ずっと親元を離れた事がありませんでした。

社会人になってからも、母にご飯を作ってもらって、料理掃除洗濯もろくすっぽせず、
立派な大人になっているのに、両親に面倒を見てもらって、
お給料からも申し訳程度に、月2万円だけを家に入れて、
好き勝手にOL生活を楽しんでいました。

母にご飯を作ってもらっているくせに、家で食べるか食べないかも連絡せず遊び歩いていました。
自分の事ばかり考えていました。
今自分が母になって、自分の身勝手さに火が出る思いです。

感謝のかけらもない、親に甘ったれた人間でした。

そんな私が恋愛生活に行き詰まって、どうにもこうにも、人生をリフレッシュしたくなりました。

突然「海外生活」というアイディアが振ってきてきました。
それしか打開策がないように思えました。
とにかく1年海外で生活をしてみたい。外の世界を見ていたい。

カナダに行きたかったのですが、ビザの申請に3日遅れで間に合わず、
1年は待てない!っと、渡航先をオーストラリアに変更しました。

思い立ったが吉日の私は、悩む時間は全くありませんでした。
数ヶ月で準備をして、会社を退職して、
1年の予定で何の計画もなくオーストラリアへやってきました。


本当に何の計画もありませんでした。あったのは好奇心だけ。


はじめにホームステイをして、その間に何か考えよう。学校に行こう。バイトでもしてみよう。
ガイドブックさえ持っていれば何とかなるだろう。
本当にそれしか頭の中の計画書にはなく、それで全てを実行しました。


渡航前にホームステイ先だけは手配しなければいけません。

何故だか、斡旋業者にステイ先を紹介してもらう事に違和感を感じました。
ワーホリの普通の流れが嫌だったのです。

ラッキーな事に友達の当時の彼、ニュージーランド人(現:夫)に、
オーストラリアに住むお友達を紹介してもらうことができたのです。

その当時、業者に$170くらいだったかな?週にそれくらい払えば朝晩の食事付きでホームステイができたような気がします。

友達のお友達の家は$250を払えば、いいよ。と返事をくれたらしい。

業者の斡旋よりも、生の人!? 友達の友達ということに魅力を感じて、
そちらにぜひ!とお願いをしました。

しかも、その彼らの生活は、日本の都市生活をしている私には想像のできないユニークな生活をしているというのです。

電気もガスも水道も通ってない田舎の生活です。


新しい経験を望んだ私の好奇心に火がつきました。




なんか当時の事を思い出して懐かしくなりました。
私の人生の分岐点だったので、しばらくその頃の事を書いてみます。

「あたりまえ」の私もたくさんでてきます。

しばらくこの海外生活のはじまりについて書いてみようかな。
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by simplicity_circle | 2010-05-02 08:58 | 心の持ち方!