<   2010年 10月 ( 16 )   > この月の画像一覧

人生哲学・ しあわせになるコツ2

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斎藤一人さんがこの絵にツイてる波動をたっぷり入れてくれているそうです。見るだけでも、お部屋に飾っておくだけでも、「ハッピーラッキーの波動」があなたになだれこむそうです ♪
(私はmacの壁紙にしてみました。なんかとてもいいですよ♪ )




「幸せになるには、言葉をかえる必要がある」と書きました。



それ以外に「幸せを呼び込む秘訣」があるのです。
今回はそれを紹介しましょう!



って、実は2007年にこのブログで、一度紹介させてもらっています。同じものです。



2010年の今、最初に読んでから4年経って、さらに理解が深まりました。
当時、本当だなぁと心から感嘆しても、まだ自分の言葉でしっかり人に伝える自信がなく一人ブログでつぶやいていました。(って、今もか。。。)



っということで、もう一度!



「しあわせになる『つやこの法則』」



第一に 顔のツヤ
    ツヤをだすことによって、人相を良くする。福相にする。
    福相の人に不幸な人はいない。貧相な人にしあわせない人はいない。



第二に 人のしあわせを願う
     「この人に、すべてのよきことが、なだれのごとく、起きます」   
    1日10人、100日間続けてみましょう!



第三に 光っていると、幸運を呼ぶ
    顔も髪も靴も磨いてツヤを。明るく綺麗な色の洋服。
    キラキラ光るアクセサリーを身につけて、人のためにおしゃれをする。



第四に 天国言葉を言う。天国言葉を使う人に不幸な人はいない。
    地獄言葉は言わない。地獄言葉を使う人にしあわせな人はいない。

    



人に喜ばれること、人のしあわせを願えるようになることが、
人間にとって一番のしあわせなんだ。
そういうしあわせは、際限がない。



心のなかで、もっと、もっと大きくなる。



だけど、そのためには、



まず、自分が最初にしあわせにならなきゃいけない。


斉藤一人☆15分間☆ハッピーラッキー 舛岡はなえ著からの抜粋です。


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「小さな奇跡」を起こす言葉。困ったときや、地獄言葉をつい言いそうになったとき、この言葉を言ってください。「困ったこと」がなくなります!





わたくし、言霊の力にかけてみます!!!





さて、ここまで書いてきて、あれっ?と思っている方も多いかと思います。。。

はい。わたくし、わかってはおりますが、
自分の見た目、ファッションにまったく、労力をかけておりません!
Joyがもう少し大きくなった所で、もう一度考えてみます。
だって、どうせ汚されちゃうし...時間がないのです。。。
っと、いいわけがましい simです。。。



それにしても斉藤一人☆15分間☆ハッピーラッキーという本と付属のCD「つやこ49」(47分)
15分程で読める薄っぺらい本なんですけど、まぁ深い深い。ものすごい本です。。



わたくし、この本しか読んだことがないのですが、
今頃、すっかり、斎藤一人さんのファンになっています。



っということで、次はひとりさん流、病気について。
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by simplicity_circle | 2010-10-31 00:00 | スピリッチュアルに!

人生哲学・ しあわせになるコツ1



「因果を受け入れたふりも、どうやら通じないらしい」と書きました。
「口先だけでの受け入れました!は上の人にはお見通し」と書きました。



と、そんなことを書きながら、紹介する裏技は・・・



やっぱりふりをすることなのです。



でも、少し違うところは・・・







「言霊パワー」を使うことです。







言葉には“言霊”というパワーがあるんだよ。
その言葉を言うと、もう一度、
そういう言葉を言いたくなることが起きるんだ。

思ってなくてもいいから、口にすればいいんだよ。
聖書にも、『はじめに言葉ありき』と書いてあるじゃないか。
思ってなくちゃ言えない、ということだったら、ナカナカ言えないよ。
斉藤一人☆15分間☆ハッピーラッキー 舛岡はなえ著 より


とにかく言葉を変えて、口に出すことだそうです。




言葉に出して、何度も言い続けることによって、
「うそつくな〜」と怒って居座っている自分の潜在意識ですら、
洗脳してしまうということでしょうか?




斎藤一人さんは、人を幸せにする言葉を天国言葉とよび、
逆に、人を不幸にする絶対言ってはいけない言葉を地獄言葉とよびます。




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私は

しあわせだなぁ
うれしいなぁ
たのしいのよ〜
ついている!!
ありがたい。。
もういいですよ。。


っとこんな言葉をよく使います。



以前紹介させてもらった「ホ・オポノポノ」と同じ世界ですね。
アプローチの仕方に違いがあるだけで、どれも素敵です。
その時の好みで選んでいます。



さて次回は、斎藤一人さん流の「幸せになる法則」
絶対不幸になれない法則の、全体像を紹介させてもらいます。
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by simplicity_circle | 2010-10-30 00:00 | スピリッチュアルに!

人生哲学・人生とは5



「因果があらわれたことに罪悪感を感じる必要はない」と書きました。


二つ目の落とし穴があります。


実はこれが、私がいつもいつもはまってしまう落とし穴です。


また人生のフローチャートでの説明に戻りますが、


精神世界の学びと探究によって、当然、
「よりよい自分」を目指すことになります。
こうでありたい自分、理想的な心の持ち方という目標を設定します。


でもね、時には、本当は自分の目標に届いていなくて、
心は、受け入れられず、 まだ No なのに、
受け入れるべきという頭だけの考えで、
心の声を無視して、蓋を閉めて、


できました〜〜〜!受け入れています!
という振りをして、Yes に進んでしまうのです。


心に嘘をついているので、
その場合も、No を選択したときと同じように、
体にサインが表れて病気になったり、
上の人からの導きで、同じ問題が繰り返し目の前にあらわれてくるのだと思います。
口先だけの受け入れました!は上の人にはお見通しなんです。



どうやら心からの Yes でなければいけないようです。



ということは、受け入れない、と初めから No に進むことより、
振りをして Yes に進む方が、たちが悪いかもしれないですね^^
問題の原因を探すのが複雑になりますから。


「わたくしすべて受け入れておりますのよ。ホホホホホ」
なんて顕在意識の自分は信じきって言いますので、
「ではこれは何?原因になっている受け入れた振りをしている問題はどれかしら?」
と探す手間がかかります。
するとそこには必ず「うそつくな〜」と怒って居座っている潜在意識がいるのです。


私の、手湿疹と腰痛 完全にそうだな。。。
収束に向かってもまた再発する。



今ね、原因が自分の中で掴めてきているような気がするのです。
この件については、この、なんちゃって人生哲学が終わってから!




さて次回は、それじゃあ、受け入れなければいけないと、
頭でわかっていても、できない私のために、裏技を書いてみます。
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by simplicity_circle | 2010-10-29 09:10 | スピリッチュアルに!

人生哲学・人生とは4


受け入れることの大切さを理解して、受け入れることを始めました。
するとそこに、また落とし穴があるのです。

ここからが、カルマを理解することよりも、もっと大切です。


これはね、すぐ落とし穴に落ちてしまう自分への戒めのために書いています。


因果の存在を認めるようになりました。
その状態で、何か悪いことが起こると、
私はこんなことをしてしまった悪い人間だと、不必要に、
自分を責めたり、自分はダメだと、おとしめてしまったりする可能性があります。

また、理不尽なことで、怒ったり、泣いたり、抗議したり、様々な方法で、
状況を改善する必要のあることでも、そんな思考回路で、
いろんな気持ちを、無理に心の中に封じ込めて、
我慢してしまう危険性もあるのです。


それは天(自分という魂)の意図から外れてしまうことになります。


なぜならば、あなたはすでに許されているからです。


因果は罰ではないのです。


罪悪感にさいなまれる必要はまったくないのです。


生をいただいているということが、もうすでに許されているということなのです。


罪を償うチャンスを頂いているのですから。


生を頂いて、自分の蒔いた種、因果を体験し、
刈り取るチャンスを頂いているのです。


わたしたちはすべて祝福された存在なのです。


でも、こんな言い方をしていますが、
実は、許すも罪の償いという概念も天にはないのですね。
便宜上、理解しやすいように、わざとそんな言い方をしました。


天からの目線でみれば、起こる出来事に、
善し悪しのジャッジはありません。
それに対して、いい悪いのジャッジをするのは人間なのです。


だから、起こる出来事すべて、いい因果・悪い因果 (注:人間の目線でみた)を、
ただ受け入れて、味わうだけです。
それはただその状況に甘んじるということとは違うと思うのです。


人間に生まれること10万回なんて、斎藤一人さんも前述のCDでおしゃっています。


その長い長い魂の歴史で、どれだけの辛酸をなめ尽くしてきたことでしょうか。
どれだけの極悪非道を繰り返してきたことでしょうか。
そしてどれだけの愛を与え、受け取ってきたことでしょう。


この世の中を見渡せば、世界的にそんな魂の背負った状況が見えてくるのではないでしょうか。


誰もが善人で、誰もが悪人を体験しているのです。
そして誰もが、この世を離れて、本来の魂にかえれば、
善なる存在、愛そのもの、大いなる存在の一部なです。


究極の意味で人に善悪はないんですね。
表に出てきた事象だけでその人をジャッジすることは誰にもできないのです。本来は。


人は、罪を背負って、カルマを摘み取るために、 罰を受け取るために、
地球に送られている罪人ではないのです。


神、大いなるものをこの次元で体現するという使命をいただいた果てしない旅人なのです。
この地球が愛にあふれた因果で埋め尽くされる日が来るまで続くのでしょう。


だから、めでたく因果があらわれたら、
思い切り、パニックになったり、怒ったり、悲しんだりして、七転八倒して、
思う存分、その感情を体験して、沸き上がった感情を発散させて解放することも、
心と身体にとって、必要なことだと思うのです。


感情を抑圧することの精神や健康への弊害は、
多くの人が承知している事実だと思います。


でもその後はいつまでも、負の感情に縛られていては、
あらたな因果を生み出すことになるので、


ありがたい。これで終わった。ついている。という気持ちに入れ替えて、
前に進んでいこう。


ということなんだと解釈しています。







このシリーズまだ続けたいんですよね。。。


どうなるかしら。。。
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by simplicity_circle | 2010-10-28 19:55 | スピリッチュアルに!

人生哲学・人生とは3



「究極、人生は、何が起きても、Yes を選ぶこと。受け入れ、喜ぶこと」と書きました。


さて、なぜ、起こることを受け入れずに、拒否していると、
受け入れられるまで、同じ問題が目の前に繰り返し現れてくるのでしょうか?


今度は、実際「受け入れる」とはどういうことなのか、
別のアプローチで書きたいと思います。


この世には因果があります。原因があって結果がある。


人生で何か辛い経験があったとします。
過去世での因果があらわれているのに、
自分の作った因果を人のせいに、世間のせいにして、
怒りや憎しみを持ち続けていると、どんどん悪くなっていくのです。
実際、自分が悪くなければ、よくなるはずです。

その気持ちを医者に通ったり、薬でおさえようとして、
鬱病になったりどんどんおかしくなるのです。
薬で因果を消すことができるのですか?


出た因果はただありがたいと思えばいいのです。


起きた因果は出て消えるのです。
だから「出たから消えたんだ。よかったね」と思えばいいのです。


自分がおかしてきたことが、今消えるのだ。
ありがたいと思ったときに、自分の人相も相手の人相も変わり、
よかったね、ありがたいね、ということが始まるのです。
 
因果を解消するということは、
どっかでご祈祷してもらうことでも、つぼを買うことでもありません。


前世で自分の犯した罪によるものなのに、相手が悪いと言っていると、
そうじゃないそうじゃないというげんこつの雨がふるのです。
だからそれがエスカレートしてきてしまうのです。
問題はあなたに原因があるのです。


癌の人は頑張り屋か、頑固なんです。それをやめないかぎり、なおらない。
子供のぜんそくなんかは、親か祖父に、人を息もできないくらい怒鳴りつける人がいる。
そうすると、その人の出した因果が、子供か孫にまわってくる。
リュウマチは、人のことを恨んだり恨まれるとそういう結果が出てくる。


この世の中には原因があって、必ず結果がある。


ああそうなんだ、こういう因果があるんだとわかれば自分が救われ、
地獄で苦しんでいる自分のご先祖の一人が救われるのです。


自分もしあわせになり、周りもしあわせになり。先祖もしあわせになる。


嫌なことが起きたときにツイてると言う意味は、
嫌なことが起きた時点では、もうすでに因果が消えているのです。
だからよかったね。ツイているのです。


それをその事についていつまでもぶすぶす文句を言っていると、
せっかく消えたものを今世でまた大きくしてしまうのです。
それが因果づくりなのです。


それを 子供に渡してしまう人と、きれいに消していける人がいるのです。


よく旦那にこんなにひどいことをされたと文句を言っている人がいます。
それはあなたがしていたことなのです。
自分が何もしていないのに、起きる訳がない。
私は何もしていないと言っても、今世ではしていなくても、前世でしていたのです。


そういう気持ちで世の中を見ると、今まで解決できなかった問題がすべて解決できてくる。


どんどん出てきても、自分がやったことなんだ、
ありがたい。ついている。という気持ちで消しちゃうからいいのです。


何故こんな目に遭う、なんでだろう、自分は被害者で、あいつが悪い。
と加害者を責めてばかりいると、何も解決できずに、 
運勢を悪くし、体を悪くする。
それよりも人生を救い、先祖を救えるような生き方が一番いいですよね。


先祖もあなたに、しあわせになってもらいたい、しあわせに生きてもらいたい。
自分で出した因果をどんどん消すためにわたしたちは今世 来ているのです。
いい因果を作るために来ているのです。



これは、斉藤一人さんの伝説の講話『つやこ49』からの抜粋です。
斉藤一人☆15分間☆ハッピーラッキー 舛岡はなえ著 の付属のCDです。
興味を持った方は、こちらでその講話を聞くことができます。



「因果応報」「カルマの法則」のことです。重いですね。



因果は現世のものも、前世のものも。刈り取るまで、
現世、来世、子孫へと延々と続きます。



信じない人、反論のある人もいらっしゃると思います。
でもわたしは真実だと感じるのです。



前エントリーの「フローチャートにでてくる問題」という言葉を「因果」と置き換えてみると、
選択は「Yes」しかないのだ。という意味が、明確に見えてきませんか?



その問題は、自分が現世で、もしくは前世で、蒔いた「因果」という種だとしたら...

自分で刈り取るしかないのですね。

受け入れることが、刈り取ることになるのです。

刈り取らなければますます大きく育っていくだけです。

それを受け入れず、人のせいにしつづけていたら...

その悪い種はすくすく育ち、

また余計な種を蒔き散らすことになってしまいます。



私達は、


今後に残したい、いい種を植えるために、
過去に蒔いたものを収穫するために、


この世にやってきているのです。




だから、どんなことがあっても、Yesを選択することが、正解だと思うのです。



わたしのような未熟な人間では、
世界中にある大きな大きな困難を受け入れることはまだ難しいです。
それでもせめても宇宙という視点から、
地球という学校に、生徒としてやってきている一魂として、
とらえることで理解しようとつとめています。


 

次回は、受け入れることを受け入れた後の落とし穴について。。。
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by simplicity_circle | 2010-10-26 18:50 | スピリッチュアルに!

人生哲学・人生とは2


夫婦の関係について書くつもりでしたが、
その前に、もうちょっと前エントリーの「人生とは」で、続けることにしました ♪
※お昼にエントリーしてからかなり書き直しました。なかなかうまく表現できないのです。。。



人生とは、魂の成長を願い、
たくさんの感情を味わうためにこの世にやってきて、
目の前にある状況すべてを受け入れて、
今にフォーカスをして、
魂の成長に最高、最善の選択肢を選ぶこと。


とこんな風に書きました。今日はもうちょっと踏み込んで書いてみます。


まず、目の前にある状況は、すべて自分の選択の結果です。


選べないと思っていた宿命(年や両親や性別)も生まれる前に自分で選択しているからです。
ですので、すべてが自分の選択の結果なのです。


今、目の前の世界が喜びで満ちているのなら、
これは辛いことも、嬉しいことも経験したすべてを含めてという意味です。
だとしたら正しい選択をしてきたと言えるのではないかと思うのです。


その逆なら、どこかで間違った選択をしてきたということでしょう。
(生まれる前の選択はまちがいようがありませんので、この世での選択のことをいっています)
他人に原因を求めることは、自分をさらに苦しめることになります。


昨日フローチャートの選択に正解はないと書きましたが、
これは伝えたいことを、きちんと言い表せた文章ではなかったですね。


人生の道筋を決める選択に正解はないと思うのです。


けれども、人生での問題点にぶつかったときの質問はいつも同じで、


受け入れますか?


答えの選択肢もいつも一緒です。


受け入れる(Yes 喜びの道)に進む
受け入れない(No 困難の道)に進む



この質問に対する答えは、
受け入れる(Yes)に進むのが正解だと思うのです。
というか、一番、楽な、上の方のおすすめの道だと思うのです。


受け入れるための葛藤を正しく受けとめることによって、
立ち上がろうとする向上心が、迅速に深い魂の学びに繋がるのです。


もちろん選択の自由で、受け入れない(No 困難の道)を選び、
なぜ、こんなことが起きたのかと、自らを省みることをせずに、他に原因を求め、
怒り続け、嘆き続け、負の感情の中に、とどまっているという選択もあります。


ただその場合、フローチャートは「受け入れる Yes」という答えがでるまで、
延々と同じ問題が形を変えて、繰り返されることになるのです。



だから究極人生は、何が起きても、



受け入れ、喜びますか?    Yes
受け入れずに、苦しみますか? No



Yes を選ぶことなのかもしれません。



とてもとてもむずかしいことです。



あなたはこの考えを、極自然に受け入れることができますか?  Yes
それとも、受け入れられない。この考えに腹が立ちますか?    No




では、No と答えた方のために、もう少し話を続けてみようと思います。




それは次回に。。。
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by simplicity_circle | 2010-10-25 12:28 | 心の持ち方!

人生哲学・人生とは1



人生というのは、何のためにあると考えますか?



わたしは「魂の成長のためにあるもの」ととらえています。



喜び、悲しみ、苦しみ、楽しみ、満足、不足、不快、爽快、恩恵、犠牲、怒り、笑い、許し、憎しみ、優しさ、慈しみ、etc....



数限りなくある感情を味わうためにこの世にやってきているのですね。



そんな視点で見ると、
「悲喜こもごも」な人生が、魂の成長のために理想的な人生だといえるのでしょう。



愛そのものであるといわれている、あの世の世界から、
毎日毎日新しい生命はやってきます。

わざわざこんなに苦労する事をわかっていて、何を好き好んで、
わたしたちはやってくるのでしょうか?

さまざまな感情の経験が魂の成長を飛躍的にうながすからでしょう。

そしてこの世に生を受ける魂は、たくさんの希望者の中、
幸運にそのポジションを得る事ができた、選ばれた魂であるといいます。
地球での学びが最高の学校である魂が嬉々としてやってくるのです。



ここでもう少し、というか、いきなり視野を宇宙へ拡大させてみると...



宇宙とは、全ての次元において、「一なるもの」からの分化であって、
それがそれぞれに展開されている世界で、
それらが「一なるもの」へと戻って行く遥かなる旅が、宇宙だと思うのです。



だから宇宙全体は「進化」の流れで成り立ち、
宇宙の法則は「進化」だと思うのです。



視野を地球規模に戻すと、



一人一人の魂の成長=進化が、
ひいては世界全体の統合意識の成長=進化に繋がると考え、

私たち人類も地球という生命体の中に存在するもので、
日々成長を願い切磋琢磨している地球の一部だとみるのです。



地球をひとりの人間、人間を細胞と考えてみましょう。



一つ一つの細胞が、力一杯あるべき力を出して、調和して存在していたら、
その組織は活性化され、器官(臓器)も理想的に機能します。
各器官が理想的に機能していれば、その人間の体全体が健康的に力強く生きていけるということです。



以前書きましたハトホルの書の「集合意識ハトホル」は人類をこう呼びました。

「すべてなるもの」の記憶へと立ち返る旅の仲間



「すべてなるもの」から分化したという宇宙に存在する全ての存在。
それでは「すべてなるもの」は何故そのようなことをするのか?という疑問がありました。



「集合意識ハトホル」はこういいます。



この宇宙を創造した「意識」でさえも、
いちいち仰天し、興味をかき立てられているのです。

無数の意識レベルや領域で展開されつつ明らかになる「一なる根源の」顕現は、
本質的には歓喜にあふれ、ユーモラスでさえあるのです。
おそらくそうした戯れの一端であるがゆえに
「無限」がみずからを「有限」の中に据えてみることが可能だったのでしょうか。




さて、そんな根源的な、宇宙的な、視野から、少し離れて、
目の前の世界に戻ってみます。



じゃぁ、わたしたちはどう生きたらいいの??



とにかく魂の成長だけを望み、
日々の選択を、その基準で選んで生きていけばいいのではないでしょうか?



人生とはまるで、心理テストのフローチャートのようだと思うのです。



Yes or No 形式で進んで行きます。



それはそれはたくさんの問題=選択肢に人生の要所要所でぶつかります。
心理テストに正解がないのと同じで、
その選択によって、その先にその流れに沿った問題が用意されているだけです。



でもどの道を選んだとしても、 登場人物、状況は違うように見えるかもしれませんが、
いつでも問題の中身の本質は同じなのです。
その問題はひとつの目的、魂の成長という目標に向かって投げかけられているものだからです。



だから人生とは、おおまかな設計図という青写真の上にのせてある、
魂の成長にとって、最高、最善の質問が書かれた、壮大なフローチャートの上を、
青写真の最後、その時がくるまで、選択し進み続ける=生きぬく事だと思うのです。



でね、フローチャートの質問の中身はいろいろです。



家族とどう関わるか、どんな勉強をするか、どんな仕事をするか、
どんな時間の使い方をするか、どんな趣味を持つか、どんな友達を持つか、
一人で生きるか、パートナーと生きるか、
子どもを持つか、子どもを持たないか、...etc 



死ぬまで、自分の設計図とフローチャートの結果はわからないのです。



なんであれ、どうせわからないのですから、
今目の前で展開している人生、状況を受け入れて、
ただその場で最善の選択をしていくだけです。ただそれだけです。



人と比べて、あわてることも、卑屈になることも、うぬぼれることも、
何一つ必要のない事だと思うのです。



過去を悔やむ事も、過去に浸る事も、
未来を心配する事も、未来だけに希望を見る事も、
必要な事ではなく、



ただ、目の前の出来事に集中して、今を生きるだけです。



そんな風に感じます。



さて、今現在のわたしのフローチャートは、
結婚してパートナーと生きる事を選び、子どもを持つ事を選びました。



その現状で、最高最善を選ぶのが、今できる事だと思うのです。



今夫婦の関係について深く考えています。




それを次回に。
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by simplicity_circle | 2010-10-24 20:13 | スピリッチュアルに!

ベランダ炭素循環農法の報告


最近はこんな、サラダの材料が収穫できるようになってきました ♪

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なんてね、本当は間引きしたものを、食べているレベルです。
速く大きくならないかな ♪
でも間引きも、どの程度とったらいいのかもわからないのです。
植え方も、面倒くさくて、全部直播きですし。
まぁ、うまくいかなかったら、やり直して、コツを掴もうと思います。

でも葉っぱは柔らかくておいしい!
こんなのばっかり食べていたら、スーパーの野菜は本当に食べれなくなるだろうな。。。




こちら「炭素循環農法」をめざして作った、植木鉢ならず、植木袋。<以前の日記>
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虫もつかないです。
でも全く陽のあたらないふちの陰になっているところの葉に、
虫がはった跡があるものを見つけました。
やっぱり虫は健康的ではないというサインなんですね。。。




こちらは自然農と称して、無法地帯です。
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いつも種が落ちて生えてくるのをそのまま放っていました。
今年はこれでも少し手を入れてるのですけどね。
表面上にマッシュルームコンポストと炭素源をひいてあります。
何をしたいのか、自分でもよくわかりません。
この中で、炭素循環農法を取り入れて、あっという間に枯れてしまったものが一つあります。

「みょうが」

びっくりした様子で、瞬く間に黄色くなって、枯れてしまいました。
合わないのかもしれません。
でもみょうがはまた根っこの所が生きていて、復活してきそうな気もするので、
気長に観察しようと思います。




こちらは全体像
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とても不健康な見かけのレモンの木は、まだ改善は見られません。
けれどもいつもよりたくさんレモンがなっています。

あと、もう何年も虫がついたままの、月桂樹の木は相変わらず虫だらけで、
根元に勝手にはえてきたロケットの葉にも虫がたくさんついています。
この鉢は土をかなり改良しないとダメなんだろうな。。。





苗で買ってきたトマトがよく育って、支柱の立て方をしらべなければ。。。
と思ったら、植え付ける前に支柱を立てておくのがコツなんですって。

。。。

他にも種を入れておいた、トマトとキュウリの芽も出てきています。
今のうち支柱を立てなければ!
支柱を買いに行ったら、ただの竹の棒で 1本$1.25 !!
手作りは、何をするのも高いな、この国は。。。

将来庭を持ったら、竹林も作ろう!!
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by simplicity_circle | 2010-10-21 09:41 | ACTION !

ものごとは 善し悪し ではなく...


ものごとの善し悪しというものを、
裁くこと・ジャッジ をしたくないと思うのです。


なんて思いながらも、ふと忘れて、あれはいい、これはよくないなんて、
そんな気持ちを持ってしまったりして、
自分の裁きを背負っているのですね。。。


そんな、わたしへの戒めのために、忘れないために、今日は書いています。


わたしが発する言葉に対して、自分が正しいと、説得する気持ちはありません。
だって正しい訳ではないのですから。


おごることなく、いつでも、何者でもない自分を自覚して、へつらうこともなく、
起こる出来事をありがたく受けて生きていく自分でありたいのです。


そんなわたしも、つい数年前まで、環境破壊や健康被害を起こすようなもの、
安全性が確認されていない合成化学薬品、遺伝子組み換え品、
それらを積極的に市場へ送る利益しか念頭にない企業、
安い・便利・見た目しか追い求めない消費行動というようなものに、
憤りを感じてブログに書いてきました。


でもね今のわたしは、時々失敗もしますが^^
ちょっと変わりつつあります。


選択の自由なんですね。(投げやりで、突き放した言い方ではなくてね ♪)
どんな選択も尊重するべきというのが、
ようやく頭のところから、お腹のところに落ちてきた気がするのです。


それでもね、ものごとに、あれがいい、これはやだ、欲しい、欲しくない、
と思う気持ちは当然ありまして、それは外へ向けて発信したいわけです。



っで、これが、わたしのスタンスです。



「好き・嫌い」



これだけです。



わたしがこれが好きと言ったから、その物の価値が上がる訳ではありません。
わたしがこれが嫌いと言ったから、その物の価値が下がる訳ではありません。



「たで食う虫も好き好き」
好みはひとそれぞれです。



人の好みにとやかく言う必要はないからです。



あなたは正しい!間違っている!っとジャッジすることにもなりません。



さて、これ長い前置きなんですけど、



本題に入ります。



Leeの一年生が始まって、はじめの授業の題材が





「海賊」





だったのです。





毎日家に帰ってきては、パイレイツの話をして、youtubeで見たいと騒ぐLeeに、

ま、オーストラリアのパブリック、こんなもんだろう。
大き過ぎる期待は持っていなかったのですが、
もうちょっと、教育上、好ましい題材が他にいくらでもあるのではないかと思いました。
だって、海賊って、いろんなキャラクターがありますが、やっぱり、海の上の強盗ですからね。。。

まっ、目くじらを立てるようなことでもないから、笑い話程度に思っていたんです。





でもね、
オーストラリアの教育は...パブリックの教育は...
と、ジャッジしなくてよかったなと思う事もありました。





最近は、学校で「モネ Monet」の絵を題材に使っているようで、
よくモネの話をするのです。(わたしなんてカレンダー程度も知らない^^)
それを知ったグランマはすぐに、モネの絵画集をLeeにプレゼントしてくれました。
Leeは大喜びで学校に持って行きました。(グランマすごい!!)














で、先週学校から持って帰ってきた塗り絵がこれ。














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「ゴッホ Gogh」





わたし、よく、日本語の勉強のための教材や、かるたを見ながら、



「この、いぬだか、くまだか、うさぎだか、わからない、マンガチックな絵だけは、やめてほしいなぁ〜」「芸術性を育てるより、推理能力かな?」



っと、心の中でつぶやいていたものです。



オーストラリア、日本の教育、どちらがいい悪いの判断はしません!



ただ、ここはこちらが好き!
ここはあちらが好き!



とその場その場で、わたしの好みは変わります。
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by simplicity_circle | 2010-10-18 12:37 | いろいろ思う事

愛に生きる


またまた、本の紹介です。

この感動の名著は、もう、す・べ・て の人におすすめしたい!!!

縁あって、こちらに訪れて、今この文章を読んでくださってる方には、

とくに強くお勧めしたいです〜〜〜〜!!!

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「子育て」のみならず「生きる指針」となる本です。
だから、お子様がいなくても、音楽に興味がなくても、どんな方にでもです!


愛を持って生きるということに、条件なんてまったく必要のない事ですからね。。。


こちらの本、あの「スズキメソード」の創始者鈴木鎮一先生の、
ヴァイオリンを通した才能教育 について書かれているのはもちろんですが...



その視点が、 人間すべてを、大きく 温かく 深く 包括する 思いにあるのです。



「鈴木鎮一」という人間そのものに、魂が震えました。



「鈴木鎮一」という人間の人格が形成されるまでの、
環境的背景、心理的影響、人生の歴史、心の軌跡が、
驚くべき歴史上の偉人たちとの交流もあわせて、
鈴木メソードを確立するまで、確立した後と、
音楽活動を中心に、短く要約されて、わかりやすく説明されているのです。



生まれたことも、やがて死ぬことも、大自然のすることであった。
それは人間個々の責任ではなかった。
一人一人の人間は、ただ生きる責任だけを持っている。
わたしは人生をそう見るのです。


そのわたしの生命は、つねに愛と喜びの中に生きたいと願っています。
本来、だれも憎しみと悲しみを求めはしない。
そして、純粋に愛と喜びの中に生きようとする生命そのものの相(すがた)を持ったものが
子どもたちであった。


だれもがほんとうにほしいのは、人間の愛情であり、人間のしあわせなのです。


愛は愛によってしかえられない。
そしてわたしたちの人生は、人に愛を与える、慰めあうという愛情によってだけ、
その生きがいをえるのです。


・・・・・・・・・


芸術とはなにかを音楽に求めて・・・・
かつて芸術はわたしにとって、はるかかなたのはかり知れない高いところにあり・・・・
その秘密を探したのです。


鈴木鎮一先生が悟った芸術の実態は・・・・


それはもっとも日常的なわたし自身にあったのです。
わたし自身の感覚の成長と心のあり方と働きと日常の起居___
それがわたしの芸術そのものであり、そうでなければならなかったのです。


人に挨拶することも、自己表現としてそれは芸術でした。


芸術作品は、全人格・全感覚・全能力の表現である。


素直な子どもの心に立てば、わたしたちの生命は、愛を土台として、
真なるもの・善なるもの・美なるものに向かおうとするのです。

音楽とは、ことばや文字を超えた生命のことば___
神秘ともいうべき生きた芸術です。





鈴木鎮一先生の、大きく、広く、深く、温かい、愛に、心からの喜びがこみあげてきました。



愛そのものなのです。



私が道に迷った時は、何度でもこの本を読もう。。。



そんな本です。



鈴木メソードは、天才児を育てるための英才教育ではないのです。
くれぐれも誤解がないように願います...




わたしたちは、音楽家を育てる事を第一の目的とするのではない。
よい市民を、立派な人間を育てたいのです。
もしも子供達が生まれた時から立派な音楽を聴き、
また自分で演奏することを学ぶならば、
彼らは優れた感受性・陶冶性・忍耐力などを、能力として持つとともに、
美しい心の人となるでしょう。


またもし、世界の国々が自分の国の幼い子どもたちを、
ほんとうによい人間に育て上げることに全力をそそぐならば、
たぶん、地上から戦争はなくなるでしょう。





ここまで書いた上で、なんとも申し上げづらいのですが、
我が家のバイオリンレッスン、今だお休み中。
今トレバー君にこの本を読んで頂けないかと模索中。。。。
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by simplicity_circle | 2010-10-17 12:59 | いろいろ思う事