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スピリチュアル ビジネス

はじめに、中傷目的で書くつもりがないことを明記させてください。
ただ自分の気づきをシェアしたいという思いから書いています。
わたしは気づきをシェアしてくれたお友達に感謝しているからです。
(不快に感じる方は読まれない事をおすすめします。これはあくまでもわたしの主観です。)


ここ何年も信じきっていた「精神世界」
今その世界観が崩れていくのを感じています。


自分が信じていたすべてを否定している訳ではないのです。
ただ最後の解釈が、何か違う所へ導いていると感じることがあるからです。


ニューエイジといわれる精神世界の言っている事はね、97%は正しいんだよ。。
でも3%が違うんだよ。
だけどその3%が、すごく重要なんだよ。。。



この言葉は、あるがん患者の方が亡くなる直前に残していかれた言葉だそうです。


世界的なスピリチュアルリーダーと言われるような方すべてを否定したい訳ではないのです。ただその一部に、人々を刹那主義と自己主義と無関心へとミスリードしている教えがあると感じるようになったのです。

そしてその思想が、多くの良心的なスピリチャル論の根底になっていると感じる様になりました。これが一番恐ろしい落とし穴だと思うのです。

こういった精神世界を勉強して実践する人たちは、心優しく、他人への思いやりに満ちあふれて、そのための行動力を持ち合わせた人達が多いのです。少なくともわたしの周りにはそんな素敵な方達ばかりです。

けれども、その思想が組み込まれた教えは、綺麗な言葉と、素晴らしいメッセージの背後に、より自己的であれ、刹那的であれ、無関心であれ、というメッセージがあるように思え、それが人の意識=行為を、本来の性質と正反対のものにしてしまうと危惧しているのです。


本来の性質とは愛です。愛とは喜びと慈悲です。


今のスピリチュアル界は喜び(ワクワク)にばかりに焦点があてられて、慈悲(情け)が忘れられていると思うようになりました。

そのワクワクも、惑星意識にたってのワクワクなのか、個人的な嗜好によるワクワクなのか、そこを見極めることがおざなりにされている印象もあります。

目の前にある現実を、自分でネガティブと判断して、目を伏せて、ワクワクする事だけを考えていればいいと思っていたわたしだってそうです。慈悲があれば目を背ける事はできなくなるはずです。

心の世界の探究は、今やスピリチュアル業界という一大産業に発展しているように思えます。簡単に大金が動きます。

世界的なスピリチュアルリーダー達は、お金はエネルギーだから流しなさい。貪欲に溜め込んではいけない。と説きながら、高額な金額を請求したり、巨額の寄付金を募っていたりします。

そして実際の彼らは意外にも物質に執着して贅を尽くした人だったりするそうです。

マザーテレサが寄付を募っても、私腹を肥やすための寄付ではなかった事は、世界の周知の事実です。

良心的な値段は労働に対する当然の報酬です。けれども、あまりにも高額なお金が動くものはスピリチュアルビジネスだと思うに至っております。

だから言葉を発信する人たちが何を選択しているのか、どう生きているのかを観る事が大切な事なんだと考えるようになりました。


もう一度、潜在意識からのメッセージです。


行為はとても重要です。とても重要です。
行為の中に意識が宿っているのです。
多くのものが行為が意識だという事を忘れているのです。
自分が何によって満ちたりるかという行為が意識なんです。
どの様な小さな行為も意識なのです。


意識について語るなら、行為についても語るという事です。



下記の文章は最近目にしたものです。
これを読むのは、富の中に生きている人々だけです。
目線が富のある人に向かって書かれているものだからです。
富の中に生きているわたしたち皆がこの様に生きれば、
本当に世界の紛争、貧困、飢餓がなくなるのでしょうか?


私の提案はこうだ。
あなたが
第三次世界大戦を防止できると
考えてはいけない、
あなたが貧困を変えられると
考えてはいけないということだ。

あなたが変えられるのは、
あなた自身だけだ。

あなたの貪欲を捨てなさい、
あなたの未来を捨てなさい、
あなたのマインドを捨てなさい。
もっと愛に満ち、
もっと健康になって、
そしてハートから生きなさい。

そしてもしたくさんの人びとが
そのように生き始めたら、
それこそが
世界を変える唯一の方法だ。

世界を直接変えることはできない。
なぜなら世界は魂を持っていないからだ。
魂は個人のなかに存在する。
個人だけが変わることができる。


あなたがたが溜め込み屋のままで
貪欲で、暴力に満ちて、
抑圧されているなら、
この社会が続くだろう。

そしてあなたは
乞食にお金をやることは
できるだろうが、
彼は乞食のままだろう。
なぜならお金は決してなにも
変えはしないからだ。
私は百万長者でいて
しかも乞食のような人たちを知っている。
彼らは、
いくら持っていようが
なにも違わない守銭奴だ。

・・・

人は変わらない。
お金では
決してなにも変わらない。
もし自分が変われば、
それはまったく別なことだ。
私は慈愛の心を
持ってはいけないと
言っているのではない。

私が言っているのは
慈愛の心を持つのはいいが、
ただあなたの慈悲で
世界が変わると思っては
いけないということだ。
そんなことを望んではいけない。

なんであれ
与えられるものを
与えたらいい、
分かち合えるもの を
分かち合いなさい。
ただ愛の心からのみ
分かち合いなさい。
政治的観点で、
世界を変えるなどと
考えてはいけない。
さもないと失望することになる。
そういうことは忘れてしまいなさい。
あなたはなんでも
自分がしたいと思うことをしたらいい。
乞食に会ってなにか感じたのなら
それをしたらいい。
自分がしたいと感じることを
なんでもしなさい。
私は、
なにもするなと言ってはいない。
ただ私が言っているのは、
自分が世界を変えているなどと
思ってはいけないということだ。
なにひとつ変わるものはない。

世界を変える唯一の方法は
意識のレベルを変えることだ
そしてあなたは、
それをあなた自身のなかでしかできない。
ほかの誰に も、
それを外側からすることはできない。

確かに、あなたが
自分の意識の水準を変えたら、
あなたは人びとを変えるような、
彼らが知らずに変わってしまうような
波動を生み出す。

世界には
ある別の雰囲気が必要なのだ――
別の社会ではなく、
別の空気だ。
別の霊的な波動が必要なのだ。
私が直接することに
関心がないのはそのためだ。
私はあなたを社会のしもべに、
宣教師に、
なにかそういうものに
したくはない。

私はあなたが完全に
利己的であることを望む。
まず自分が誰かを知ろうとしなさい。
これこそが利己的であることの
第一原理だ。

まず愛そうとしなさい。
これが利己的であることの
第二原理だ。
他人を愛せるよう になるほどに
自分自身を愛しなさい。

そして利己的であることの
第三原理はこうだ。
その瞬間を喜びに満ちて、
祝いながら生きなさい――

そうすればあなたを通じて
なにかが起こり始める。
あなたは引き金のポイントになる。
世界的プロセスが始まる。
 
いつであれ
ひとりの覚者が生まれるとき、
世界的プロセスが始まる。
あなたは覚者になりなさい、
目覚めるのだ。
それがあなたにできるすべてだ。

Osho - The Path of Love




わたしは、この文章に97%の真実と3%の危うさを感じるのです。
by simplicity_circle | 2012-06-05 00:00 | 地上に楽園を!
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